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歪み真珠・・・その2

最近、なかなか本が読めないって昨日書いたばかり。
最近は、仕事の合間の気分転換に、山尾悠子先生の
歪み真珠の掌編小説を、1~2篇ずつ読んでました。

昨日は、”ドロテアの首と銀の皿”を・・・


幻想文学っていうこともあって、スピ系の感想も入りますし~
この作品で、何が言いたかったのか?なんてことは一切、
考えない私なので、興味があれば、more をクリックして、
ご覧になってみて下さいね。


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ゆっくり読んでいるので、大切にじっくりと読んでる。
という訳でも無いのです。
好きなものは、何があるか判らないので?”真っ先に”と
いう性格。
実用書や漫画の類だと、1冊1時間もあれば、ピヤ~って
読めちゃったりするので。


やはり、この方の文章は、私にとって難解なのです。
話の流れを掴み難いっていうのか・・・
色々、含みがあったりするのだろうなぁ~とか、何かベース
になったりしてる作品が、あったりするんだろうなぁ~とか、
思ったりするのですが、眺読家(パートナーに言わせると、
読んでるんじゃなくって、本を眺めてるだけらしい)の私には、
さっぱりなんですよね。


私が本やアートに求めてるのは、この世界の何故、何、どうして?
の答え的な内容が、自分の中に見え隠れするかどうか・・・なので、
こんな難解そうな本を書く山尾先生の作品に、どうして13歳の
子供の私が、虜になったのか、常々、自分でも不思議でした。

ゴルゴンゾーラ・・・や娼婦たち・・・の2篇を読んだ時、
何となく掴みかけていた、その感じが、ドロテアの首と銀の皿で、
蘇ってきたので、これは、ひとまず、忘れない内に、ここで感想を
書いておこう!と思い、突然書くことにしたのです。



少し、話が変わりますが、私は、子供の頃、不思議な夢を
良く見てました。物心ついた頃から。
(詳細を書くと、ものすごく長くなるので、簡単に要約すると、
覚醒夢、多重夢、といった範疇の夢です。
今は、もの忘れの名人のような私ですが、子供の頃は、ある方面
での記憶力が(映像や図形など、見たものを記憶する)とても良かった
ようで、立って歩き始める前後の頃の記憶も、いくつか覚えてました。
さすがに、生まれた時や前世(というものがあると仮定するなら)の
記憶は、なかったのですが、大人になってから、自分が生まれてくる時
(母の胎内から)の夢を見たり、手術を経験するまでは、結構頻繁に、
不思議な夢を見てたのです。今は、ほんとに時々だけ・・・)


そんな夢の中で出会う体験は、とてもリアルで、現実では無い
(今、私たちが現実と呼んで、意識を共有している3次元空間の
事を現実として)のに、現実とは違ったリアルな世界があるのです。

なので、物語の中にも、そういうものを求めてしまうんですね。
これは、SFやファンタジー、幻想的な内容ってことでは無くって、
(どれも好きで、最初は、そこから入りました。)
文章を読んだ時に、文体や内容に関わらず、映像というか、
かなりリアルなイメージが、立ち上がってきて、ひとつの実在感を
持った世界を、感じさせてくれる作品という意味でです。

現在の現代社会を前提にして、物語を書けば、それだけで、
周りの詳細を書かなくても、現在の町並みや時代背景を、
無意識に想像しながら、物語を読んでゆくことになりますよね?
でも、SFやファンタジー、幻想文学など、現実に存在しない
場所や空間などであれば、それをリアルに、イメージ喚起させられる
文章というものは、なかなかお目にかかれないのが事実です。

主人公や登場人物の半径数m程度の範囲のみの映像を見ているような
イメージ力のものが多くて、何かスケール感を欠いたものを感じてしまい、
興醒めしちゃうのですよね・・・
同じ実在しないものであれば、夜見ている夢の方が、リアル度もスケールも
大きかったので、無意識に比べてしまって、ストーリーを堪能するところまで、
集中して読み進める事が、難しかったんだろうと。



そういうイメージ喚起される類のものの中に、簡単で平易な文章で
書かれた童話や御伽噺、伝説や言い伝えがありました。
それから絵本も、絵っていう原型があるので、ある意味その範疇かな。
それ以外で、初めて、リアルなイメージが、立ち上がってきたのが、
山尾先生の本だったんだと、今になって、初めて認識できたという
ことなのです。


通常、芸術家と呼ばれる人々は、イメージ(実際に実在するもので
あっても、その中に潜在している見えないアレ、コレも含めて)を
受け取って、それを何らかの手段を持って表現してゆく能力を、
高く持った人たちの事だと思うのですが、作品と呼ばれるものの
形としての完成度を、高くしようとすればするほど、限られた自分の
思考の範疇で、限りないイメージの形の全体を、組み立てようと
考えてしまうので、本来のイメージのもつ力が、衰えてしまうように
思えるのです。

で、何も考えず、巫女的にイメージを、本来のまま伝達できた方が、
形としての完成度は低くても、受け手の側に伝える力が大きくなる
のではないのかなぁ~と。
これは、絵の中に寓意となる形や記号を取り入れて描かなくても、
詳細な部分まで、描き込んで現実感を持たせた絵を描かなくっても、
そういう流れで描かれたものには、見えない部分で、そういうものを
喚起させてくれる力が、宿るといった事が、どうもあるからのようです。

音楽、そして絵画などのアートなら、そういった流れの中で表現された
作品の中に、表現は拙くても、イメージを喚起させてくれるものも多いと
思います。
が、文学の世界でのそれは、ものすごく難しい事のような気がするのです。
単なるイメージというより、リアルな映像が立ち上がってくるという位の
レベルのイメージになると、かなり高度な文章力を持ってないと表現が
難しいと。



つまり、作品という形としての完成度が高くなれば高くなるほど、本来、
無限の広がりを持ったイメージが、その一部分に歪められて凝縮してしまう
可能性を秘めている、そんな感じを受けるのです。
だから、完成度が高いと思える文学作品で(その内容を私が理解できてるか
どうかは別として)イメージが、こうもスルスルと立ち上がってくる
作品は、滅多にお目にかかれないのだろうと思います。
もちろん、内容が面白い作品、感銘を受けた作品は、いっぱいありますが、
夢の中で見た、リアルな映像のように、イメージがここまでのものは、
そうそう無いだろうなぁと思います。
(今回の作品集、現在読んだ所まででは、全部という訳じゃなく先に揚げた3点が特に。)
ちなみに、感銘を受けるような作品は、イメージが立ち上がるというより、
感情にダイレクトに訴えかけてくるようなものが多いのですね。


形としての完成度が高く、力のあるものというのは、どうも
常人が考えられる努力を通り越した果てに、考えずとも、
イメージを形に仕上げる能力として開花するものなのかも・・・



自身の痛みゆえに、その凝縮した美しい姿をみせてくれる真珠。
これからも、その美しいイメージを、垣間見させてもらえる作品を、
楽しみにしたいなと思っています。
そういう作品に触れると、生きてて、そして、出会えて良かったなと、
心から思えるのです。

後半の感想は、又、気が向けば書きますね~。




2012.2.27

あっていう間に2年近く過ぎちゃいました。

で、今年になって、色々と体験できたおかげで、
の部分が何やったのか、理解できました。


あの、リアルにイメージが喚起されて立ち上がるっていうのは、
ある種のリーディングなんやなぁ~っていうことが・・・


こりは、著者の方のイメージ喚起能力が、どの程度なのかを
そのまま体験させてもろてたんかなぁと思います。

今は、かなり衰えてますが、子供の頃は、半端じゃなかったから、
子供にとっては、難しい文章やったけど、虜になったんやろって。



御伽話や神話など、長い間、語り継がれてきたものは、
このイメージ喚起能力っていうものが凄まじいんですね。

これは、多分、実際にあったことや、その中に、真実が
含まれている可能性が、多分にあるという証拠でも
あるように思えています。


内容が素晴らしいものは、いくらでもあるけれども、この類の
ものは、そんなに多くはないから・・・


そんなことに気付いて、追記しておきたくなりました。


















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