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夢見る姫の石 - 石を視る その4 -

時々、ストックの中から石を取り出して、
色んな方向から光を回して眺め楽しん
じゃったりしてます。


今日の石は、撮影した中でも一番
印象的なこのシーンから銘銘して
みちゃいましたよ~。


夢見る姫の石
実寸11×11mm程度


夜風に揺れるオレンジのカーテンの下
ベッドに横たわった銀色に輝く姫君

向こう側に開口した窓から
様々な視えざるものたちの煌きが
流れ込んできてる・・・

そんな風景に思えました。




そして、
眺めてましたらば、オーラの見え方に
何かしら通じるところがあるなぁ~って。
そんなことが頭に浮かびました。



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パッと見、このような2~3色の鉱物が
層状に流れ込んで、模様のように見える
だけなんですけど・・・




(写真上側参照、自然光+ライティングで
 実際に目で見えてるような感じに撮影
 下は黒バックでライティング撮影)



最大で7mmほどの厚さの石の中、微妙に
異なる層が生成されてまして、光を回し
ながら、接写タイプのカメラでピントを
合わせる深度を変えてゆくと、同じ方向
から見てるのに、まったく別の模様を
見てるような風景が浮き上がってきたり
します。





これなんかは、同じアングルですが、まるで別の石のよう・・・
太古の鳥人?みたいな風景が幻想的♪


オーラを視る時も、こんな風に視点(正確
には、物理的な視点という訳じゃないかも
です・・・)をズラしながら、それを視てる
ように、いつも感じてるんですよね。

いつも視えてるわけじゃないです。
視ようと思えば視えることもあったり、
視るつもりが無くても、視えてしまった
ことがあったりと、色々。






で、フト、石を眺めて写真を撮りながら、
私達が視覚で知覚して、把握してるように
思ってる、この3次元の世界も、同じような
ものと考えてみたら、オーラっていうものが
気のせいだけではなく、実在する可能性を、
簡単に説明できるんではなかろか?
って思ってみたわけなのでした。

科学的見地から、それが正しいのかどうかは
今、必要じゃないんで・・・
何ていいますのか、そういう色んな方向から
眺めてみる視点によって見えてくるものって
いうのか・・・まぁ、そんな考えの一つ
として、興味があれば、この先を読んでみて
下さい。




私達が実在のモノとして把握できる、
知覚できるミネラルの結晶としての石。

その中にパッと見ただけでは、透明に見える。
けど、隠されたレイヤー(層)が存在して、
ある角度から光を当ててみた時にだけ、浮かび
上がる模様。

透明な中に、そんな状態が内包されてることも
ありえる鉱物として、一番身近な存在である水晶。




石は、物理的に安定した状態やから、そんな風に
色んな模様として見えても、誰も何ら不思議には
思わないんやろけど・・・


でも、この透明な部分が空気で色の部分が実際の
空間にある物体やと思ってみれば、この世界が、
同じ構造で出来上がってるんやったら、時間の
流れが止まってしまったように見える、結晶化
した石の中に、ある角度から光を照射した時に
だけ認められるような、そのようなものが、
大気の中に存在してても、おかしくないと感じる
んですよね。




もちろん、石の中に閉じ込められてるのは、
何らかのミネラルやとは思います。
オーラと同じもんではないとは思うんですけどね・・・




ようするに、うちらが周りの世界として捉えてる
物理的な物体の見え方、視認できてるものってのは、
どの層の何にピントを合わせているかによって決定
してるんやなかろか?
ということなんです。

たとえば、顕微鏡で見た世界と、天体望遠鏡で見た
世界の中に、似たような形や状態を認められると
しても、その焦点に合わせてるものによって、眺めてる
世界のスケールや実際の対象は異なるわけでして、
それは、この世界を構築してるパターンを眺めてる
ということなんやろって、常々感じてるわけなんです。

やから、オーラを観ることっていうのは、オーラと
呼ばれるもののパターンが存在してる、知覚できる
層に視点っていうのか、焦点を合わせないと、それは
視えてこないんやと考えるわけなのです。




うち自身、この見え方っていうのは、もの心ついた頃から
記憶が鮮明にあったことの一つで、(一番最初の記憶は、
まだ立って歩くのがおぼつかなかった頃のもので、光の方に
向かって、何があるのか知りたくて這っていったら、縁側
から落ちてしまったっていうもの)裸眼立体視はもとより、
今でいうところのCGモザイク的な見え方や、モノトーンなど、
今より健康であった頃には、色んな見え方を、一人遊びで
楽しんでました。


見え方をチューニングしてる感じとでもいうのかなぁ?
ただ、これやって遊ぶと、非常に疲れるのと、時には、
気分も悪くなったりしたんで、やらなくなっちゃったん
ですけど、その代わり、いつ頃からか、オーラなるものが
(色付きのやつ)時々、視えるようになってきたって
わけです。



うちの学生時代の友人の中には、指の先から湯気が出てる
のが視える!と言うような、気が見えてた人もいたし、
社会人になってからは、そのものズバリ、オーラが見える
人にもであったりしてたんで、半信半疑ながら、自分が
見えてないから存在しないと言い切れるもんではないやろ
なぁ~とは、自分が、そのものが見えるようになる前から、
そういうものがあるんやろなぁと実感してました。



この石なんかでも、こうやって、色んな方向から
光を回して撮影してみない限り、このような模様が
存在することは、パッと見ただけでは分んなかったです。

そして、石の中に風景そのままであるような模様が
浮かびあがったり、何らかの形の似姿が浮かび上がっ
てきたりするのは、やはり、この世界を構築してる
パターンが、基本的には、同じであることの印である
と思えたりしてるんですよね。



オーラなるものも、身体の周りにある、通常の見え方では
見えない層のパターンであると考えてみると、見ようと
思って、深層まで注意して観察すると、ひょっとすると
見えるものなのかも・・・です。




今、見えてない方でも。




オーラを見ようと思って、その見方を説明したら、簡単に
見えてしまった方がいらしたので、自転車や水泳のように、
ちょっとしたコツさえ掴めれば、すぐに見えてくる方も
沢山いるのでは?と思えてます。

もちろん、人の感受性や個性の特性として、向いてない人
はいると感じてます。
やから、一概に、見えるのがいいとか、そういうものでも
無いとも思ってます。

あまり神経が細い方とかやと、色々考えてしまって、
普通に人と接することが、できなくなってしまったり、
精神を病んでしまったりが、あると感じてますから。



ただ、
私達が生きてる今の時代は、そういう見えざる部分が
表面に浮かび上がってきている時代なんやろなぁって、
そんなことを、考えさせてもらえた石でした。







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テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

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